私的名盤100選
「名盤」と呼ばれることの多いロックミュージックのアルバムを、個人的な視点を交えながら紹介していきたいと思います。

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コメンテーターA
【No.59 ザ・リバティーンズ『アップ・ザ・ブラケット』】

歴史の前後、というようなコメントについては、ここのコラム上で相当数多く繰り返してきたと思う。それはつまり芸術などの作品文化、カルチャーというべきものは、リアルタイム的ではなく、順番や位相が必ずあとからはっきりするものだと。そういう意味で、ロックも同じ。そのときにどう思われていたかということは、実はそのとき的にあらわれてくるものではなく、あとから振り返るときに、本当にはっきりするものだ。時代を代表するバンドなり音楽というものは、あとから見たときに本当にはっきりする。その当時の「そのとき的」なものは、色褪せたあとの方が、隠せなくて、面白い。

リバティーンズは、あのころストロークスの後発であると、あるいはよく言ってイギリス的解釈、揶揄としては雨後の竹の子とでも言うべきものの言われようだったと思う。たしかにあのころイギリスでは、オアシスと同じような音楽を鳴らすことは本当に罪になっていて、そういう部分でも、純粋さでは本家に負けていない彼らはストロークスに助けられたんだろうな。でもピート・ドハーティーというひとにはもっと気の利いた情けなさがあって、それがケイト・モスを惹きつけたり、カール・バラーを横でギターを弾かせたりさせたのだと思う。実際、彼らの音楽におけるセンチメンタリズムのあらわれは特徴的で、ストロークスが模造的にも思えるほどのものだった気がする。

自分はあのしゅの感情の脆弱さが苦手だった。彼らにはラッディズムが足りないと思った。しかし極端な方向に触れているものはいつもその反対側に繋がっているというのも、また事実なだのだと思う。あれからもうかなり長い年月がたったところで、ようやくリバティーンズが正しかったことが証明されようとしている。あの当時埋れて馬鹿にされていたロックの本質は、もっとも情けなく純粋な形で、当時以上の大きな事実として現在は語られている。

1/9^23:52[編集]
コメンテーターA
【No.58 DJシャドウ『ブレイン・フリーズ』】

DJシャドウについて知ったのは、まだかなり若いころ、ちょうどクラブ・ミュージックを聴き始めたくらいの頃のことだったように思う。当時自分の音楽に対する見識を深めようと、かなりやっきになっていたところがあったと思うけど、シャドウの音楽は何か異質だった。いまはそうでもないと思うけど、あのころかれの音楽はあまりどこにも売っていなかった。そのくせ名前だけはよく聞いたことをよく覚えている。たくさんのアーティストが、影響を受けたと公言していたからだ。そう言う意味で彼の凄さよく分かっていたけれど、どこ探してもなかなか見つからなかったな。

それでもコンピレーションアルバムの中で、彼の音楽を見つけたりした
。東京に来てからようやく単体の作品を聞いたのだけど、それはもう出色の出来だった。それまで自分が聞いていたクラブミュージックという名前のついたものたちは、一体何なのだろうと思った。それくらい異質だったのだ。

構成力と言う言葉がある。彼のアルバムを聞くと、まさに構成力と言う言葉を思い出す。彼のすごいところはと、様々な批評家たちは言う。楽器を演奏していないところ、すべてがサンプリングによって作られていること、そして五万枚とも言われる彼の壮大なレコードのコレクション。しかし世界観と言うのは、単に技術力だったり、素材の多さによって規定されるものではないのだ。彼の作品の見事さは、確かにそういった要素も含まれているのかもしれない。最も凄いのは、やはり構成力だ。これは単に楽器を演奏していないとか、さまざまなものたちの組み合わせでできているとか、そういった要素だけでは推しはかることのできない特別な才能のあらわれなのだ。

彼の作った音楽を聴いていると、ここにあと1つだけ音が多かったらとか、ここにあと1つだけ音が少なかったから少なかったらだとか、本当にそういう危ういバランスで、作品がギリギリの美しさで成り立っていることがわかる。ただの技術や、メチエだけでは説明することのできない、古典的でわがままなアーティストの本領が見えるのである。


10/15^23:38[編集]
コメンテーターA
【No.57 ブラー『パーク・ライフ』】

オアシスがロックを聴いて行く上での指標となった人間にとって、ブラーとの出会い方が複雑になったのは言うまでもない。それは前述のウィーザーにおける、単純な疎遠さとは比較になるものではなかった。実際、世間一般的にはそういう印象も少ないのかもしれない。ブラーもオアシスも、両方好きだというひとは数多くいる。でもあの頃の世相は、やたら反目を煽っていたような気がする。『ディファニットリー・メイビー』以降、オアシスのアルバムが出ると、「さすがオアシス、ブラーとは格違い」だの、ブラーのアルバムが出ると、「オアシスもレディオヘッドもかなわない、ブラーの相手になるのはビートルズだけ」だの… 雑誌ライターが瞬間最大風速を狙って文章を書くのはわかるけど、いたいけなミドルティーンを混乱させるくらいの罪は、最低限自覚してほしいもの。

というわけで『パーク・ライフ』を買った自分は、買う前からどう言う感想を言おうか決めていたようなものだった。「トラブル・イン ・ザ・メッセージセンター」の格好良さはどう頑張っても否定できなかったけど、アルバムをすぐに捨ててしまったのはよく覚えている。当時の自分は、気にいらないと決めたアルバムはすぐに捨ててしまっていた。そういう行為が、「ロック」だとでも思っていたのだろうか…。

デーモン・アルバーンのもの凄さがわかったのは、実際にもう少しあとのことで、オアシスに世代の代表の座を奪われ、グレアム・コクソンというバンドを象徴するギタリストが抜け、髪を短く切り揃えた彼が動物の名を冠したプロジェクトをはじめてからだった。あの頃の彼はかっこよかった。余裕は消え、焦燥感よりもある哀れな感じがあらわれていた。そして、それすらスタイリッシュなんだよ…。リアムに「ハゲゴリラ」と揶揄された彼が、はじめて共感できる人間性を持ったアーティストに見えた。

そして買い直した『パーク・ライフ』。これは掛け値なしの傑作だ。オアシスのビートルズ談義は、実はブラーに対する屈折として、あるいは自己防衛としてついてまわった気さえする。ロック・ミュージックにおけるポピュラリティの、お手本のような素晴らしい作品が、それとはあまり関係ない下世話さや下品さで外堀を埋められているのは、あまり好ましくない出来事だ。そういう重みを噛みしめると、十数年後のノエル・ギャラガーとの抱擁/和解というニュースは、実に胸に響いてくる。


7/6^14:41[編集]
コメンテーターA
【No.56 ウィーザー『ウィーザー(ザ・ブルーアルバム) 』】

『ストーン・ローゼス』のアルバムを知人に貸したとき、それが1989年のアルバムだとくちにした自分に返ってきた予想外の反応をよく覚えている。よく考えてみれば、1989年という時期は決して昨今と呼ぶに値しない。しかし、自分はそれ以上に複雑な思いを感じていたことをよく覚えているのだ。実は友人に1989年という年号を告げたとき、感じていたのはそのアルバムの変わらない目新しさについてなのだった。しかし、実際に1989年がすでに歴史的事実だとしても、イギリスのロックがあのアルバムのパラダイムからいまだに抜け切れていないとしたらどうだろう。

実はウィーザーとは、あまりいい出会い方をしていない。そのことがどう関係があるかは知らないが、あのころ自分はオアシスに夢中だった。1989年から見れば、1994年なんてさらに「最近」のことだ。自分がウィーザーをようやく認識できたのはもう一枚の緑色のアルバムでようやくといったところだったが、いまから考えるとそれで良かった気がする。すでにシリアスな評論家気取りで、どうしようもない視野の狭さによって自身のレコード棚に入れるアルバムを選別していたミドルティーンの日本人には、この青色のアルバムにあるとびきり良質なポップ感覚と、ギターのギリギリの格好良さ、音楽の本質的なポピュラリティと切っても切れない「情けなさ」については、あまり理解できなかった気がする。

それこそ「最近」知ったのだが、このアルバムの「バディ・ホリー」(すごいタイトル )という曲、windows95 のパッケージソングだったらしい。こういう事実を聞くと、「1994年」という年号のひどい古臭さにめまいがしてしまう。リヴァース・クオモが黒縁眼鏡を買ったり、ハーバード大学に行ったりするくらいの時間的長さだって、それはもう十分にあったわけなのだ。


5/11^19:18[編集]
コメンテーターA
【No.55 スティービー・レイヴォーン『クドゥント・スタンド・トゥギャザー』】

よく見る音楽の評論などで、「○○は10年先に音楽を進めた」とか、「○○の可能性を10年先取りした」などというものがある。この「○○」というのは、別に音楽でもジャンルでも録音方法でも、または楽器でも何でもいい。ただこのフレーズは一見人畜無害に見えながら、実は本質的にかなりきついところがある。10年の先取りや10年の進化は、実質上いわゆる10年分の停滞だからである。エレクトリックギターに関して言えば、ジミ・ヘンドリックスがもたらした進化はたかだか10年どころの騒ぎではなかったが、この裏の意味に直面していたギタリストは意外に少なかった。ロック・ミュージックのギターはその後自身の感性や表現形式を映し出す鏡のごときもので、解釈やアプローチといった眼鏡で見られるものでしかなかったのである。しかも、ジミ・ヘンドリックスの「内部」で。

奏法的にも精神的にも、ジミを超越しようとしたミュージシャンは、いまも昔もおそらくスティービー・レイヴォーンくらいである。彼がフェンダー・ストラトキャスターの向こうに見たのは音楽のジャンルや時代性を超えて普遍的・原則的な何かであり、それは真に楽器と付き合うことでしか生まれてこないものだった。誰もが鳴らせそうな「エレクトリック・ブルース」というものが、パンク以降の停滞したロック・シーンで見つけられた事実は、順番の前後という以上に興味深いものをわれわれに教えてくれる。

興味深いと言えば、スティービー・レイヴォーンがネイティブ・アメリカンの血筋を引いているとしか思えない風貌をしている点だろう。たとえば白人の後出し的ポピュラーミュージックに対する、前ジャンル的な黒人音楽という構図は、ロック史において実にありふれた歴史観である。しかし、スティービー・レイヴォーンは、その存在感にしろ音楽的な素養にしろ、黒(奴隷)や白(商人)といったものより前の、いわゆるアメリカ先住民の論理(インディオ)を背負ってあらわれてきているようなところがある。あらゆる音楽的なヒエラルキーの感覚と、彼が徹底的に覚めているといえるほど無縁に見えるのは、おそらくこのあたりに起因しているのだろう。


5/2^00:41[編集]
コメンテーターA
【No.54 ペイヴメント『クルーキッド・レイン』】

ロックというものには、そのことば自体にローファイだとか粗暴だとかいう意味が存在している。当然お金がかかりはじめたり、プロダクティヴになりすぎたり、教育的になりすぎると、偽証的な感触があらわれはじめるものだ。ロック・ミュージックの危機はつねにこういうものだった。音楽のジャンルとしてその存在意義が目するところから離れはじめ、インディーというようなことばの意味があらわれはじめる。しかし、ロックにとってのインディーズとは、つねに意味の中心でありながら、嘘でもあった。インディペンデントというのは、すでにロックそのもの、なのだ。ロックのジャンルの中に、インディペンデントという概念があること自体がおかしい。

1970年代くらいから、ロックはいつもこういう内側の問題で格闘していた。そうやってインディーはインディーとして、いつのまにかそれらしいメジャーな「概念」となってしまった。偽物のインディーのそのあとで、真にインディペンデントなバンドがまたふたたびあらわれる。ペイヴメントは自分の中で、そういう記憶のうちにおいてもとくに鮮やかである。

たとえば、教育的な演奏方法。ロックはプラクティカルなものとは無縁のはず。ペイヴメントの演奏などは再現不可能であり、そもそも再現などをする意味がまったくないような音が鳴らされている。たとえば、プロダクティヴなファッション。 カート・コバーンが郊外のショッピング・センターで買っていたネルシャツさえ高級ブティックがトレンドに取り入れる。スティーブン・マルクマスのファッションなど、彼がどのようなアイコンになろうとも誰からも必要とされないだろう。それは、ダサくも格好良くもないからだ。

演奏再現不能、やる気ゼロ、ファッションセンスは超絶に普通、悪びれもせず、悪態もつかず、お金はまったくなし。「まっとうさ」とは、なんというものなのだろう。いま1990年代を見返すと、一番異端だったペイヴメントが、一番まっとうに見えるのだ。真にインディーだったバンドと等しく、彼らは存在感の打ち出し方の天才的な才能以外に、あまり何も持っていないように思えた。しかし、いまは違うということがわかる。彼らはロック・ミュージックの矛盾点をすべてつなげる、甘くもなければ排他的でもない、実は完璧なメロディーを隠し持っていたのである。


7/10^15:11[編集]
コメンテーターA
【No.53 ザ・バーズ『ミスター・タンブリンマン』】

ザ・バーズを現代的なロック・ミュージックとして認識させているバンドに、ストーン・ローゼズがいる。バーズはいま聞いても1960年代のロックバンドとは思えないほど楽曲が鮮やかだが、そこにはローゼズのようなバンドさえ惚れ込んだ、構成力がある。それは非常に現代的なものだ。

たとえば、1960年代のロックは、オープンコードを申し訳程度に単音で鳴らすというのがほとんどだった。それはイギリスでロック・ミュージックが完成されて行く過程において顕著な手法だったといえる。そんな中におけるバーズの革新性とは、ギターのトーンの音色を生かした、フレーズから曲を構成していくちからにあったと自分は思っている。特徴的に取り出されたリッケンバッカーの音色が、バッキング・ギターのまとまったコードワークとうまく絡み合い、ロック・ミュージックの魅力を際だたせる。このようなスタイルは、とても大きな革新性を持っていた。その後一度はパンクやニュー・ウェーブで解体されるものの、より洗練された形で1990年代のロックに帰ってくるのである。

バーズによって拓かれたロックの手法、それは本当に「根底的」で、「過激」だった。どちらも英訳すると「ラディカル」という意味である。いまやバーズの描いた世界観は、現代のロックにおいて、もはや自明のものとなっている。それが伴奏という概念からエレクトリック・ギターを救ったのだが、自分はそれが、コーラスワークやメロディーを支えるような場所からあらわれているように見えるのが、興味深くもある。


6/7^00:13[編集]
コメンテーターA
【No.052 ジェフ・ベック『ジェフ・ベック・グループ』】

ジミ・ヘンドリックスがいなかったときのロック史を想像することは難しい。エレクトリック・ギターに関しては、とくにそういうふうに言える。ロックという音楽は、エレクトリック・ギターを中心に据えているところがあるので、ジミがいなかったら、ロックの歴史はかなり変わってしまっていただろう。しかし、ギタリストとしては当時ならぶものがいなかったという事実は、現在の感覚とは少し意味が違っていたのかもしれない。それにひかくして、ジェフ・ベックが1960年代にどれほど優れたギタリストと思われていたかということを考えるのは、とてもたやすいことだ。

中期ヤードバーズでは、ジェフがいたためにジミー・ペイジはベースを弾かなければならなかった。ジェフといえば、エレクトリックギタリスト史上、もっとも奇人と思われているひとであるが、すべてのギタリストの中で一番まっとうだったのは、本当はジェフなのだ。彼はロックミュージックの歴史はエレクトリック・ギターの歴史であるということを理解していながら、それで闘うことの孤独とも闘っていた。ビートルズやストーンズのギタリストよりも自分ははるかにギタリストであるのに、なぜ彼らの足元にころがっているのか。ジミー・ペイジはそれを解釈して進んで行けたというのに。そんなジェフの個人的な責務と混乱の中、時代はジミ・ヘンドリックスという天才も迎えていたのである。

それから後のジェフ・ベックのギター・プレイは、まるで一番正確にプレイできるスタジオミュージシャンが、好きなだけむちゃくちゃにプレイしてください、と言われたもののようだ。あのときジミが現れなかったら、何かはわからないが、何かが確実にジェフによって行われていたはずで、ロックミュージックはやはりいまとは違う形のものになっていただろう。それは想像することも難しく思えるが、情けないものではなかっただろう。彼のギタリストとしての苦心は、クラプトンなんかの比ではなかったのだ。


5/8^15:12[編集]
コメンテーターA
【No.051 スマッシング・パンプキンズ『メランコリー・そして終わりのない悲しみ』】

スマッシング・パンプキンズは、ニューウェーヴ以降のロック・ミュージックの世界を、もっとも真正面から受け止めているロックバンドである。たとえば、優れた1980年代以降のロックミュージシャン、ロックバンドというのは、過去のロックの文脈を完全に断ち切っているか、積極的に支持しようとしているかのふたつに大きくわかれたと思うが、いずれの場合もパンク以前のロックの世界を、理解した上での肯定や否定だった。スマッシング・パンプキンズには、こういう感覚がない。つまり、あるしゅの記憶喪失の人間が、自分に知らされている材料だけで、完璧なロック・ミュージックを作り上げたというような印象である。これはビリー・コーガンという人間にある、同時代というものの捉え方にある。たんに彼に1960年代や1970年代のロックの知識があるとか、それを再現するメチエがないとか、そういった問題ではないようである。

エディ・ヴェーダーとはまた違った意味で、ビリー・コーガンは1990年代の責務を果たそうとした。それはグランジ/オルタナティヴを、ロックの歴史的な段階としてとらえようとしなかったという意味である。彼はグランジ・ロック、オルタナティヴ・ロックを、二度目のロックの歴史的なはじまりとしてとらえていたのだと思う。そして、本気でそれをやろうとしていた。自分たちのやろうとしていることは、ロックのはじまりである。つまり、本当にロックがはじまった頃のサウンドなど、参照するべきものでもなかった。

こういうスタンスが自己模倣に走らせることはたやすい。たかだか10年のオルタナの歴史を、完璧にとらえなおした彼らの音楽的なスキルは見上げたものだ。しかし、底の見えているものに対する矛盾を抱えたままバンドを続けていくことは、どうも出来なかったようだ。『メランコリー・そして終わりのない悲しみ』は、オルタナティヴ・ロックの頂点に位置する作品である。ここで彼は、ニューウェーヴの限界地点にまで立ち戻り、全力で自己模倣をするしかなかった。そうして生まれたのが『アドア』という作品である。



4/23^20:13[編集]
コメンテーターA
【No.50 ソニック・ユース『デイドリーム・ネーション』】

ソニック・ユースというバンドはロック史の中でもとにかくひとつのはっきりした意味を持っているバンドで、彼らの名前をあげるだけで、ロックのある部分的な説明が終わる。これほど個性的であり、しかも明らかな影響力を控えめに発揮しているロックバンドというのも、そうはないんじゃないだろうか?

サーストン・ムーアというひとは、ロックをやるために生まれてきたような男で、彼のたたずまいや活動としての存在意義は、トム・ヴァーレインがルー・リードから引き継いだものを踏襲している。彼ら自体はシーンに迎合するようなことは決してなく、結果的にはシーンそのものが彼らに迎合したというところが見られる。こういうところが、本当にすごいんだろうな。実際ロックというものは、そういうものだったはずだった。ソニック・ユースがいなければ、ニルヴァーナも、ピクシーズも、ダイナソーも、デビューしていなかったかもしれない。

サウンド的にも、彼らは批評をつけ難いくらいクールだった。ノイズ、低音、不協和音、どれもが本当にキャッチーで。クールさを勘違いした更新のロックバンドたちが、ソニック・ユースにまったく届かないサウンドを鳴らし続けている点には閉口する。それだけソニック・ユースがはじまりに鳴らしきったものが、とびきり優れていたということだろうな。セックス・ピストルズでもニルヴァーナでもなく、彼らの存在の大きさは、計り知れないという意味でその大きさが表されているのだと思う。真の革命とは、いつも地味で控えめなものなのだ。


4/11^14:12[編集]

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