キャス・デイリー


キャス・デイリー

キャス・デイリー(Cass Daley 本名:キャサリン・デイリー 1915年7月17日生)
 [アメリカ・女優/歌手]


 ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。デイリーは子どもの頃から、近所の店先で歌いはじめていた。彼女は、その出っ歯と滑稽な歌い方で知られ、十代の頃からクローク係や電気工として働きながら、クラブで歌っていた。1930年代には、舞台に上がるようになり、1936年から1937年にかけてはアメリカで著名な興行王フローレンツ・ジーグフェルド演出の『ジーグフェルド・フォーリーズ』と呼ばれるブロードウェイのシリーズものの舞台にも立った。1940年代には、デイリーは映画に進出して、『The Fleet's In』(1942年)ではドロシー・ラムーアやベティ・ハットンと共演し、『Crazy House』(1943年)ではオーレ・オルセンやチック・ジョンソンと共演した。1943年の映画『Riding High』ではディック・パウエルやドロシー・ラムーアと共演し、1945年の映画『Out of This World』ではエディ・ブラッケンやダイアナ・リンと共演した。1954年の『Red Garters』ではローズマリー・クルーニーと共演したが、1967年の映画『The Spirit Is Willing』や1970年の映画『Norwood』が、最後に出演した映画となった。

 1944年には、コメディアンのボブ・バーンズがNBCラジオでもっていた番組『The Bob Burns Show』に、準レギュラーとして、何度もゲスト出演した。第二次世界大戦中のデイリーは、海外に派兵されたアメリカ兵たちの間で、歌手として大いに人気を博し、米軍ラジオ放送の番組『Command Performance』や『Mail Call』などにたびたび出演した。1945年、デイリーは、人気ラジオ番組『The Fitch Bandwagon』のキャストに加わった。1950年には、自身の冠番組『The Cass Daley Show』をもつに至った。デイリーは、ホーギー・カーマイケルとともに、何枚かレコードを吹き込んだ。そのうちの1曲である「The Old Piano Roll Blues」は、1950年にBillboard Hot 100のチャートで最高11位まで上昇して10週にわたってチャートに留まり、1951年には「Aba Daba Honeymoon」が最高23位まで上昇して3週の間チャートに留まった。「Put the Blame on Mame」のデイリーが1946年に吹き込んだバージョは、わずか2ヶ月の間に15万枚を売り上げた。

 やがてラジオが衰退すると、デイリーは引退し、カリフォルニア州ニューポートビーチで、ひとり息子を育てた。夫であったフランク・キンセラと離婚した後、1970年代にカムバックを試み、テレビ、映画、舞台などで端役を演じた。1972年には、昔懐かしいレビュー『Big Show of 1928』の一座に加わり、全米各地を巡業して、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにも出演した。

 1975年3月22日、59歳になっていたデイリーは、ひとりでいた自宅アパートの部屋で、ガラス製のコーヒーテーブルの上に転倒した姿で発見された。ガラスの破片が喉を切り、帰宅した夫が発見する前に、彼女は失血死に至っていた。キャス・デイリーの亡骸は、カリフォルニア州ハリウッドのハリウッド・フォーエヴァー・セメタリーのセクション8の道路脇に葬られた。

 1975年3月22日死去(享年59)


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