天野喜久代


天野喜久代

天野喜久代(あまのきくよ 本名:新井ふく 1897年8月24日生)
 [歌手/女優]


 千葉県出身。日本橋高等女学校卒業。1913年に帝劇歌劇部二期生として入部し、1914年2月より舞台に出演。1916年5月に帝劇洋劇部が解散、その後伊庭孝、佐々紅華らの主催する歌舞劇協会、東京歌劇座を経て浅草オペラで活躍。東京音楽学校で教えていたハンカ・ペツォールドに声楽を師事していたため基礎ができており、浅草オペラ凋落後の1929年秋より浅草電気館レビューで活躍する傍ら東京の松竹少女歌劇団の声楽教師に就く。

 1928年3月19日、ニッポノホン(現日本コロムビア)に二村定一と吹き込んだ「アラビヤの唄」は爆発的なヒットとなる。のち「青空」「赤い翼」「ハレルヤ」「想い出」などのアメリカのジャズミュージックを翻訳したヒット作を放ち、二村や佐藤千夜子とともに日本におけるポピュラー音楽の開拓者として大きな足跡を残している。ジャズシンガー川畑文子の初訪日の際にはその後見人としてコロムビアから送り出されるなど次世代への育成、指導も積極的だった。1935年ごろに吹き込んだレコードが最後のレコードであると思われる。

 1945年3月10日の東京大空襲で焼死したとも、精神病にかかり窮死したとも言われ、その最期は定かではない。

 1945年3月10日死去(享年47)


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