ペドロ・ロドリゲス


ペドロ・ロドリゲス

ペドロ・ロドリゲス(Pedro Rodriguez 1940年1月18日生)
 [メキシコ・レーシングドライバー]


 弟のリカルド・ロドリゲスもレーサーであり、2人纏めて「ロドリゲス兄弟」と称されることも多い。リカルド同様、メキシコ2輪・メキシコ4輪の両方でチャンピオンを獲得している。四輪に転向後の1957年、ペドロはポルシェで、リカルドはフェラーリで四輪の国際舞台レースにデビューした。

 1961年、ペドロより先にF1デビューを果たしていたリカルドが、非選手権として行われたメキシコGPで事故死。ペドロは一時引退も考えるが、引き続きレース活動を行い、1963年にはロータスからF1デビューを果たす。当初は北米で行われるアメリカGP・メキシコGPへのスポット参戦が主であり、1966年終了時までは計8レースしか参戦していなかった。

 1967年、クーパーに招かれたペドロは、開幕戦南アフリカGPで初優勝。これ以後、F1でもレギュラーとして活躍するようになる。1968年にはBRMから参戦し、第2戦スペインGPでは自身ベストタイとなる予選2位を獲得。第6戦フランスGPでは、ファステストラップをマークした。

 1969年途中に一旦フェラーリへ移るが、1970年にはBRMに復帰。第4戦ベルギーGPでは、クリス・エイモンとの争いを制し、自身2勝目を挙げた。この際の平均時速241kmは、F1史上2番目となる速さである。また第12戦アメリカGPでは、2位表彰台を獲得。

 元々、素質面においてリカルドのほうが評価は高く、ペドロは「リカルドの兄」という見方をされることも多かった。しかし1969年頃より再評価を受け、この頃にはF1における勝利、同時期のスポーツカーレースでの活躍等から、ペドロ自身が評価されるようになっていた。1970年以降、F1ではBRM、スポーツカーではポルシェのエースを担った。

 1971年も、ペドロはF1において2度の入賞を記録するなど、奮闘していた。そんな中、ドイツ・ノリスリンクでのヨーロッパ・インターセリエ第4戦「ニュルンベルク200マイル」に参戦。乗り慣れたポルシェ・917ではなく、フェラーリ・512Mを駆ってのものだった。しかし、レース中にタイヤがバーストしてフェンスに激突するというクラッシュを起こし、31歳で他界した。
ペドロ・ロドリゲス2

 メキシコGPの舞台となったサーキットは、リカルドの死を受け、「リカルド・ロドリゲス・サーキット」と命名されていた。しかし1971年にペドロも他界した後、「エルマノス・ロドリゲス(ロドリゲス兄弟)・サーキット」に改名された。

 1971年7月11日死去(享年31)


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