短編集

君が呼ぶ声 君恋う時
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どこを見ているのか、窓から空を見上げる目は特に何も映してはいないようだ。
では何事か考えてでもいるのか?
そんな事を思いながら帰宅して数十分。
外へ視線を向けた妻はいつまで経っても俺の帰りには気付かない。
土間に立ったまま空を眺める妻を観察する俺も端から見ればどうなのだろう。
しかしこうまで気付かれないとなれば些か寂しくもある。
―さて、どうするか。
音を立てぬよう気を付け思考を巡らせると、考え事に一段落付いたのか妻は小さく嘆息し肩を落とす。
その顔が随分愁いて見えて胸が竦んだ。
あの顔は京に居た頃時折見掛けた事がある。
今と同じく空を見上げ、微動だにしないまま嘆息して俯いていた。
どうしたのか問うても何でもないと笑んで頭(カブリ)を振るだけだった。
そうして何度目かの同じ問いで、やっとあれの『何でもない』が何でもない訳ではないと判った。
とすれば、今もあの頃と同じ心境に陥っていると言う事か?
だが、その原因が判らない。
二人だけの祝言とも呼べない祝言を挙げて、幸せそうに笑んでいたのはついこの前だ。
それまでは特に・・・今のような顔は見せていなかったと思うのだが・・・。
判らない・・・。
「はぁ・・・」
俺が溜息を吐くより先に、先程より深く大きな溜息を洩らし同時に振り向いた妻はそこでピタリと動きを止めた。
「今、帰った」
「お・・・え?はじ・・・え!?い、いつの間に・・・!?」
「邪魔をしたか?」
「い、いいえ!!あの・・・おかえりなさい、一さん」
僅かに頬を染めて、嬉しそうにおかえりと言ってくれる。
「ああ、ただいま」
そんな妻にもう一度ただいまを告げ傍まで移動し、小さな頭を引き寄せて額に口付けを落とした。
共に過ごすようになって、口付け以上の触れ合いも幾度か交わした事があるにも関わらず、相変わらず千鶴の反応は新鮮だ。
桜色だった頬を真っ赤に染めて俯いてしまう。
その仕草から先程の愁いは見当たらない。
気のせいかと首を傾げる俺に、千鶴は不思議そうな視線を寄越す。
「一さん?どうしたんですか?」
「いや・・・それは、こちらの台詞だ」
「私?私がどうかしましたか?」
やはり・・・気のしすぎか?
「今・・・空を見ていたか?」
「あ、はい。もう春だなぁ・・・って」
「ああ、そうだな。雪も溶けて、そろそろ桜が芽吹くだろう」
「ふふ・・・桜を見ると思い出します。一さんが新選組を抜けられた時の事」
懐かしそうに笑う千鶴は、その時の事を思い出しているのだろう。
また遠くを見るように空へ視線を移す。
「千鶴、俺はあまり気が利かない。だから言ってくれねば判らない。
もしや俺はお前に、寂しい思いをさせているのか?」
「・・・え・・・?」
「あの頃も、さっきのように空を見ては溜息を吐いていた、寂しいと・・・そう言って」
「一さん・・・?」
「ここに移り住んで、二人で祝言を挙げた。だが、浮かれているのは俺だけだったか?
お前と共に過ごせる事を嬉しいと、そう思っているのは俺だけか?」
「そんな訳ないじゃないですか!?何でそんな事思うんですか!?」
声音に現れた寂しさを正確に読み取って、慌てて俺を見上げる千鶴に嘘はない。
では、何故?
「さっきのお前が、寂しそうに見えた。気のせいかと思ったが、そうではないようにも思う。
だから、何かあるなら言ってくれ」
「違います!本当に!寂しいとかじゃなくて・・・あ、いえ、違う訳でもないんですけど・・・」
「寂しい訳ではない・・・だが違う訳でもない、とはどういう事だ」
「あの・・・笑わないで下さいね?」
余程恥ずかしい事なのだろうか。
手の中に握り締めた前掛けを皺だらけにしながら、赤らんだ頬を更に上気させた千鶴は上目使いに俺を伺う。
その仕草に自然と口角が上がりかけるのを何とか押し留め、先を促す為に僅かに首を傾けた。
暫く下を向いたまま恥らった千鶴は、意を決したのか大きく息を吐き出し口を開いた。
「どうして、一さんはあまり私に触れて下さらないんですか!?」
「・・・何・・・?」



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