1/1ページ目 「・・・その呼び方は止めろ、と、俺は再三言ってはいないか」 「でも、だって千景だもん、ちかちゃんでしょう?」 どうして駄目なの? こてんと首を傾げ見上げて来る目に悪意は無い。 無いからこそ性質が悪いと千景は小さく嘆息し隣に腰を下ろす。 「また月を見ていたのか」 「月って言うか、桜を。どこも同じなんだね、桜も月も」 「当たり前の事を言うな。そこに在る物が見る場所によって変わる訳がなかろう」 「そうだけど、不思議だなと思って」 思えば昔からそうだった。 自分からすれば当たり前の事でも不思議だと首を傾げ、他愛無い事が楽しいと目を輝かせる。 そして下らない事で涙を零す。 なんとも感情豊かで見ていて飽きない。 嘆かわしい程愚鈍なくせにどこか鋭く、自分をしてさえ愛しく思える程素直な許嫁に掛かると動乱へと向かいつつある世情すらただ『不思議だ』の一言で済ませてしまいそうだ。 「不思議だ等と言える現状ではないがな。明日、京の姫との会見が終わればお前はすぐに郷に帰れ」 反論は許さないと目の光を強めて言い切った。 当然是と返ってくると思ったのだが、返ってきたのは非難がましい視線だけだった。 「・・・何だ、その目は」 「ちかちゃんはどうするの?」 だからその呼び方は止めろと言いそうになって、止めた。 今はそれより無事に郷へ帰らせる事を優先すべきと判断したからだ。 「俺はまだこの地でやる事がある。だがお前は駄目だ」 「どうして?」 「今の京には新選組がいる。幕府の犬となった侍の集まり。壬生狼などと呼ばれた浪士共だ。お前をそんな奴らが闊歩する町に長く滞在させたくはない」 「・・・確か、会津の?」 「そうだ。対して俺が今回手を貸すのは薩摩。奴等とは真っ向から対立する事になるやもしれん。お前が居てはおちおち戦にも出れんだろう」 「でも、ちかちゃんだけ危ない所にいて、私は郷に帰るなんて・・・」 「お前が傷つくかもしれん。そうなった時、俺が正気でいられると思うか?怒りに委せ敵味方関係なく殺して回っても構わんのか?」 優しい千鶴の事。 どう言えば千鶴が引くかよく判っている千景は、幼子に言い聞かすように言葉を並べていく。 案の定むすりと口を引き結んで、納得してはいないまでも言い返す事もせずに千景を見上げている。 「判るな?」 「でも・・・」 「千鶴、姫がぜひと望むから仕方なく連れて来たのだ。でなくばいくらお前が望んでも連れて来る訳がないだろう」 「だって・・・」 「拒絶は許さん。お前は明日帰れ」 「ちかちゃん・・・」 「駄目だ」 「・・・・・・」 無言のまま見上げる目がどんなに潤みを帯びようが、何故こうまで帰りたがらないのか、判ってはいても今回ばかりは頷く事は出来ない。 「まったく・・・」 少しずつ盛り上がる滴を前に諦めにも似た溜息を落とすと、途端に千鶴の顔がぱぁっと輝く。 「勘違いするな。お前を明日帰す事に変わりはない。だが、今夜は共に過ごす事にしよう。それならば我慢出来るか」 出来るかと問いかけつつ我慢しろと無理を言ってるのは百も承知。 千景にもそれは判っているのだ。 今の京がどれだけ危険でどれだけ千景達がこの仕事を厭っているか。 己を心配してくれるのは正直嬉しい。 出来れば傍から離したくはないが、千鶴の安全を思えばそれも難しい。 いつも傍らで千鶴を護る天霧も今回は千景に同行するのだ。 姫の護衛が居るとは言え郷までの道中ですら心配で仕方ない。 「千鶴、郷に帰ればいくらでも我が儘を聞いてやる。だから今回は俺の言う事を聞け」 何故頭領である自分がたかが許嫁に頭を下げねばならないのだろう。 かなり理不尽に思いつつ、これも惚れた弱味と深い溜息を吐き出した千景の袖を千鶴の小さな手が引く。 「何だ」 「今日は、一緒に寝てくれる?」 「・・・判った」 「じゃあ・・・帰る」 「良い子だ、全て終われば、約束は守る」 「絶対だからね?」 「嘘は言わん」 不承不承に、膨れっ面ながら頷いた許嫁の額に口付けを落として抱きしめてやる。 それだけで少し安心したのか体重を掛けて来る背中を擦ってやった。 一緒に寝てくれるかと問われて一瞬躊躇したのは、千鶴の言う処の寝る、が本当にただ眠るだけだからだ。 どこの世界に愛しい女と閨を共にして穏やかに眠れる男がいるだろう。 いるとすればそれは男色か不能なだけだと千景は思う。 (今宵も眠れんか) それもこれも千鶴の安全の為、少し位の寝不足でどうかなる自分でもあるまいと、先程より深い溜息を諦めと共に吐き出す千景だった。 続 [指定ページを開く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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