歴代助っ人外人選手展示室

【ジョージ・アリアス】
ジョージ・アリアス

ジョージ・アリアス(George Alberto Arias 、1972年3月12日 - )はプロ野球選手。アメリカ合衆国アリゾナ州生まれ。ヒスパニック系で英語とスペイン語のバイリンガル。身長180cm、体重93kg、右投げ右打ち。 「ジョージ」の愛称で親しまれた。

来歴・人物
2000年から2004年にかけて毎年打率2割6分、ホームラン30数本、少ない四死球、三桁の三振という成績をキープしていた。

主にオリックス・ブルーウェーブ時代はサード、阪神タイガース移籍後はファーストを守ったが、二塁手としても試合に出場したことがある。

1年目に26本塁打、2年目は38本の活躍を見せ「チーム内最多打点」などを2年連続で残したものの、出塁率の低さや、当時の他球団の外国人選手と比べると今一歩見劣りし、球団と契約交渉が決裂、オリックスを退団。

 99年オフ、パドレスを解雇され、メキシカンリーグに下がり腐っていたところを、仰木監督の片腕となる事がきまった高畠康真が巡回中に目をつけ、球団の了解を得てスカウトし日本へ。  1年目に26本塁打、2年目は38本の活躍を見せ「チーム内最多打点」などを2年連続で残したものの、出塁率の低さや、当時の他球団の外国人選手と比べると今一歩見劣りするからと、年俸交渉でほとんどアップを提示しなかった球団。  一方2年契約だったアリアスは、勝利ゲームへの貢献度、何よりも打線の牽引車として当然の大幅アップを主張。  そのアップ分程度なら妥当としていた、多くの球団や特に阪神幹部の意見が公然化すると、契約交渉は暗礁に乗り上げ決裂、オリックスを退団。  即座に阪神が迎え入れ、阪神優勝の原動力となったのは記憶に新しい。

2002年に星野仙一が新監督となった阪神タイガースに入団、3番片岡・4番アリアスは阪神の大型補強の口火となった。オリックス時代に劣らない成績を維持する。  阪神の2003年リーグ優勝に貢献、本塁打王・打点王を争う活躍を見せた。 

2004年も引き続き活躍したものの、6月膝痛を患いヒーローインタビューで球団を批判(阪神が成績下降時に自分を無理して起用しなかったため、反対にスタメンを無理強いしたためなど諸説あるが真相は不明である)。アリアスが不満を爆発させたことが阪神の4位転落の一因になったこと、また3億円に膨れ上がった高年俸などもネックとなり、阪神を退団した。

翌2005年にワシントン・ナショナルズと契約するも4月に解雇。その後はメキシカンリーグのティファナ・ポトロスでプレーしていたが、2006年シーズン開始後、読売ジャイアンツが日本球界復帰を目指していたアリアスの守備力や東京ドームとの相性の良さなどに着目。
6月28日巨人と契約、故障者続出のチーム、本人も時差ボケが残る過酷な条件下で7月5日の対中日ドラゴンズ(東京ドーム)で6番左翼手として初出場したが、結果を残すことは出来ず、二軍に降格。わずか17試合出場に留まりこの年限りでの退団が決定した。
帰国の際、「チームを救済出来ずに申し訳ない。巨人の成功を祈っている」とした上で、「阪神では信念や希望を持ち、何より野球は楽しむものだと感じた。巨人にはいいプレイヤーがいるが、重圧に負け野球を楽しんでいない」と評した。

現在はアリゾナで仕事をしている。
エピソード

オリックス時代の背番号は「5」、阪神時代の背番号は「14」。巨人時代の背番号は"5"と"14"を足した"19"を逆にした「91」であった。
長男は日本ではジョージJr.と呼ばれる事が多かったが、正しくはジョージー(Georgie)君で父とは別名である。
オリックスに所属した2000年は、監督が愛称を登録名にすることが好きで有名な仰木彬であったこともあり、開幕直前に登録名を『ジョージ』とした。しかし、登録名を変えてから絶不調が続いたため再び『アリアス』に戻している。
タフィ・ローズとは同じアメリカ出身でかつて関西のパシフィック・リーグチームの所属と言う共通項から、非常に仲が良かった。阪神時代にローズがアリアスと同じ神戸のマンションに引っ越した際には、たびたび料理や阪神甲子園球場での試合に招待していた。
イチローがオリックス在籍時の2000年春に、メジャーリーグ・マリナーズのスプリングキャンプ及びオープン戦(プレシーズンゲーム)に参加するため渡米し、パドレス戦に出場したことがあった。そのイチローのサードライナーをキャッチしたのがアリアスである。一年間チームメイトとなったが、イチローがメジャーに挑戦することになった際、活躍について疑問視されている中で「彼は素晴らしいプレイヤー。間違いなくメジャーでも3割打つだろう。ひょっとして新人王を獲っちゃったらどうしようかと考えているよ」と週刊ベースボールのインタビューで答えている。
また、2001年に近鉄が優勝争いをしている時にローズがお立ち台で叫んだ「絶対優勝するぞ!」を、アリアスも2003年の優勝争いの際に受けたヒーローインタビューで叫んだ。
2003年5月9日の対横浜戦にて、濱中おさむ、片岡篤史とともにレフトスタンドへ本塁打を放ち、平成の3連発を完成させた。
2003年の阪神の優勝時、たまたま道頓堀を通りかかった普通の外国人男性が狂喜乱舞する阪神ファンに「レッツゴー、ジョージ」と囃し立てられた(これに近い現象が1985年のランディ・バースにも起こっている)。
2003年、阪神のセリーグ優勝時にオートバイ用品専門店南海部品より特別仕様のバイクを贈呈される。
打席に入ってる最中に唾を吐く場面が度々見られたが、あれは噛みタバコを噛んでいるためである。
2002年阪神在籍時のシーズン中、対巨人戦で入来祐作投手の投球が背後に大きく外れた。ここで入来が謝罪をすれば済む話だったが、入来が「来い!」と両手で自分の胸を叩くジェスチャーをしたためアリアスは激怒し、入来を片腕で抱え込み殴打。乱闘騒ぎになった。
彼は東京ドームでの成績が良く、本人も「東京ドームは大好きだ」と言っている。オリックス時代は日本ハムファイターズに、阪神時代は巨人に相性がよかった。東京ドームでホームランを打ったあとのインタビューに日本語で「東京ドーム大好きです」と答えた事がある。
阪神時代の応援は「ジョージ」だが、巨人時代は「アリアス」と言われていた。
プロレスファンでWWEのトリプルHが大のお気に入り。それを知った毎日放送のスポーツ担当者が特製チャンピオンベルトを製作。ヒーローインタビューで進呈された。
日本在籍時は「胴上げ」と関わりのある選手だった。2000年・2001年はオリックスの選手としてそれぞれダイエー・近鉄、2002年は阪神の選手として巨人の胴上げを目の前で見ている。さらに2000年はアリアス自身が最後のバッターとして抑えられ、優勝が決定した(相手投手:ロドニー・ペドラザ)。そして2003年のリーグ優勝でようやく自チームの胴上げに関わることができた。

経歴
ペブロ高校卒・ピマ・コミュニティ短期大学・アリゾナ大学を経て

1993年、アナハイム・エンゼルスにドラフト7位で入団。
1997年、サンディエゴ・パドレスへ移籍。
メジャー通算:率.238 本14 点55
2000年、オリックス・ブルーウェーブへ移籍。
2002年、阪神タイガースへ移籍。
2003年 ベストナイン・ゴールデングラブ賞(共に一塁手)を受賞。
2004年、阪神タイガースを退団。
2005年、ワシントン・ナショナルズとマイナー契約するも4月に解雇。その後メキシカン・リーグのティファナ・ポトロスでプレー。
2006年 途中に読売ジャイアンツに移籍。





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