【北別府 学】 出身地 鹿児島県曽於市 生年月日 1957年7月12日(51歳) 身長180cm 体重 86kg 投球・打席 右投右打 投手 プロ入り 1975年 ドラフト1位 経歴(括弧内は在籍年) 都城農業高校 広島東洋カープ(1976-1994) 最終出場 1994年8月21日 初出場 1976年9月16日 来歴・人物 宮崎県立都城農業高等学校2年時、秋季大会で完全試合を達成。1975年のドラフト会議にて1位指名され広島東洋カープに入団。2年目から先発ローテーション入りし3年目に10勝を挙げると、この年から11年連続二桁勝利を達成(1978年から1988年まで)。1982年には20勝し最多勝と沢村賞を獲得、1986年には最多勝、最優秀防御率、最高勝率、MVP、沢村賞に輝き、チームのリーグ優勝に大きく貢献した。直球の球威や変化球の切れ味に飛び抜けたほどのものはなかったが、それらを補って余りあるほど優れた制球力から『精密機械』の異名を取り、投手王国と呼ばれた1980年代の広島の主軸として活躍した。読売ジャイアンツの江川卓と並び、1980年代のセ・リーグを代表するピッチャーの一人である。 1989年、1990年は10勝に届かず限界説が囁かれたが、1991年に11勝を挙げ復活し、チームのリーグ優勝に貢献。1992年7月16日、対中日ドラゴンズ戦で200勝を達成して名球会入りを果たし(球団史上初にして20世紀最後の200勝投手である)、1994年限りで現役を引退した。引退後は広島ホームテレビ・テレビ朝日野球解説者に就任し、その後2001年から2004年まで広島の投手コーチを務めた。2005年より再び広島ホームテレビ解説者の傍ら、デイリースポーツ野球評論家を務めている。 所属球団 広島東洋カープ(1976年-1994年) 広島東洋カープ・一軍投手コーチ(2001年-2004年) 背番号 20 (1976年-1994年)広島東洋カープ準永久欠番 73 (2001年-2004年) 経歴・タイトル 初出場:1976年9月16日対ヤクルトスワローズ(神宮球場) 初勝利:1976年10月12日対ヤクルトスワローズ(神宮球場) 年間MVP:1回(1986年) 沢村賞:2回(1982年、1986年) 最多勝利:2回(1982年、1986年) 最高勝率:3回(1980年-1981年、1991年) ※タイトルではない 最優秀防御率:1回(1986年) 最優秀投手:2回(1982年、1986年) ベストナイン:2回(1982年、1986年) ゴールデングラブ賞:1回(1986年) オールスター出場:7回(1979年-1980年、1982年-1984年、1988年、1992年) 記録達成歴 1984年:6月28日、100勝達成。 1985年:8月4日、1000奪三振達成。 1987年:9月29日、150勝達成。 1990年:7月30日、1500奪三振達成。 1992年:7月16日、200勝達成。 [感想を書く] [最新順][古い順] 感想はありません <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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